記事という体裁の「Googleのため」に書かれた文字列〜WELQ問題から学べること

自称「ヘルスケア情報のキュレーションメディア」WELQの問題で、記事の信頼性が話題に上っています。

元記事の書き手に対する敬意の欠片もなく文章の切り張りをする態度はもちろん批判されるべきですが、今回、一番おさえておきたいのは、WELQは、「誰かに何かを伝えよう」というポリシーで作られたウェブメディアではなく、「やたらと検索の上位に引っかかる」ことだけを目的にして作られた広告収入のための仕組みサイトだったということです。

読者ではなく「Googleに向けて」書かれた文章

インターネット上の記事を見るひとつの経路はGoogleなどの検索エンジンでの検索結果からです。

SEO(Search Engine Optimization/サーチエンジンで検索にかかりすいようにウェブページのHTML記述を最適化すること)を極めて、検索結果で上位に表示がされれば、それだけ記事を見る人が増え、記事に広告が掲載されていれば、運営者はそこからの広告収入が得られます。

だから、ただそれだけの目的で作られたサイトも存在するわけです。WELQはこの目的で、「伝えるための記事」ではなく「検索にひっかかるための文字列」を掲載していただけ、と考えた方がいいでしょう。

そのためだけに、低価格で大量生産させた記事だとしたら、書かれた文章に、読者への敬意も責任も一切感じられないのは、当然といえば当然です。

記事という体裁の「Googleのため」に書かれた文字列〜WELQ問題から学べること

読者の方を真正面に向いているわけもなく、検索エンジンである「Google様」に向かって正座して「私はまともで有益な人気のある情報ですから検索で上位に表示してください」と懸命に主張しているだけです。

「Googleの頭の中」を研究して極端に言えば「勘違い」させる施策として記事が存在するわけで、その主体は、何かを伝えるメディアなどではなく、人をひっかけて広告収入を得る「仕掛け」そのものでしかありません。

いい加減な情報はあるのが前提

今回、DeNAという誰もが名前を知っているような企業が「自称ウェブメディア」を運営したことが批判され、そんなビジネスは許されないという自浄作用が働いたことは価値があると思います。

ただし、仮にWELQやその周辺の複数のサイトの記事が非公開になったとしても、これらがそのうち閉鎖になったとしても、インターネット上には、「いい加減な記事や文章」なんていくらでもあります。あるのが大前提、と思うのが正解です。

それと同時に、価値のあるまともな情報も当然大量にあるわけで、「ネット上には嘘しかない」というのは間違いです。

SEOが悪なわけではない

では、サーチエンジンのために最適化をするSEOが悪いのか、というと、そうではありません。例えば会社のウェブサイトがHTMLの記述が未熟な故に検索エンジンにまともに情報が伝わらず、会社名で検索しても見つからないようでは困ります。HTMLを正しく記述する、というレベルでの基本的なSEOはごく当たり前にするものです。

また、読者の方を向いて真摯に書かれた記事がより多くの人に読んでもらえるように悪意のないSEOの工夫をすることは運営上のテクニックとして当然の範囲でしょうし、広く読んでもらえた結果、記事を見る人が増え、運営者の広告収入にもつながるならば、それは批判されるようなことではないでしょう。

問題として注目すべきなのは、「いい記事を提供する」という最初の目的をすっ飛ばし、「記事を表示させる目的で書かれた文章」がネット上には多数存在し、その内容は、当然めちゃくちゃな場合も多い、ということです。

これを道義的な問題として責めるだけではなく、構造上の問題として知っておく必要があり、今回は、これを知るとても良い機会だと思うのです。

子どもたちに教えなければいけないこと

これを読んで、「そんなこと当たり前でしょ」と感じる人もたくさんいると思います。ネット上の情報に普段から触れ、情報を精査する習慣と知識のある人にとっては、こんな仕組みは常識の範囲かもしれません。

でも、現実には、検索エンジンの存在すら意識せず、「パソコンでインターネットを見た」というくらいの認識でインターネット上の情報を得る大人もたくさんいます。

さらに、子ども達のことを考えてみてください。
ネット上の情報に触れることへのバリアはほぼなくなりました。今やキーボードすらなくても、スマホに話しかければ検索なんてできるのです。情報を精査する能力が未熟なうちから、玉石混淆なネット上の情報に手が届きます。

インターネット上にエセ情報のないクリーンな世界を求めるよりも、WELQのような記事に遭遇した時に、「これはおかしい」と反射神経で気づいてスルーできる力をつけさせることが、絶対的に重要だと思うのです。

常に情報を自分の頭で精査する習慣をつけ、欲しい情報にたどりつける力をつけることは、そのままメディア・リテラシー教育になります。

具体的に、家庭ですぐにでも実践できる簡単な「リテラシー教育ことはじめ」のアイディアを、次回の記事でご紹介する予定です。

<12/14公開しました> 家庭でできるメディア・リテラシー教育〜「どこで知ったの?」を毎日の会話に

狩野 さやか

株式会社Studio947のライター、ウェブデザイナー。技術書籍の他、学校のICT活用やプログラミング教育に関する記事を多数執筆している。著書に「デジタル世界の歩き方」(ほるぷ出版)、「ひらめき!プログラミングワールド」(小学館)、「見た目にこだわるJimdo入門」(技術評論社)ほか。翻訳・解説に「お話でわかるプログラミング」シリーズ(ほるぷ出版)。

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1件の返信

  1. 2016-12-14

    […] 前回WELQについて書いた『記事という体裁の「Googleのため」に書かれた文字列〜WELQ問題から学べること』に引き続き、今回は、家庭で簡単にできる「メディア・リテラシー教育こと始め […]

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