家庭でできるメディア・リテラシー教育〜「どこで知ったの?」を毎日の会話に

前回WELQについて書いた『記事という体裁の「Googleのため」に書かれた文字列〜WELQ問題から学べること』に引き続き、今回は、家庭で簡単にできる「メディア・リテラシー教育こと始め」のアイディアをご紹介します。

インターネットの性質上、出回る情報がすべてクリーンになるということはありません。今の子どもたちに必要なメディア・リテラシーのひとつは、大量な情報の中から有益な情報を選別し、信ぴょう性が低い情報を無視できる目を持つことです。とはいえ、何から始めたらよいのでしょうか?

情報ソースを確認する習慣〜「それどこで知ったの?」

小学生くらいになると、「○○は▲▲なんだよ」「○○は▲▲なんだって」という話を子どもがすることが増えてきます。

そんな風に、子どもが知識、伝聞系の話をした時に、「へぇそうなんだ」と肯定で受け止めつつ、もう一歩、「それどこで聞いたの?何にのってたの?」と聞いてみてください。

medialiteracy

子どもの答えは、「学校の授業できいた」「○○先生が言っていた」「○○君/さんが言っていた」「○○の本/マンガ/雑誌にのっていた」「○○のテレビで見た」等々いろいろです。

大人は、「へぇ、図鑑にはそんなことが書いてあるんだ」「○○先生は詳しいね」「○○くんはそう言ってだんだ」などと、「どこで情報を得たか」を受け止めるだけの一言を添えてみます。これだけで、子どもは「今自分がしている話は、何の情報ソースをもとにしているのか」ということを自覚する瞬間をもつことができます。

大切なのは、知識、伝聞には必ず自分がインプットした元の情報があると意識すること。これが情報に対する感覚を養う第一歩です。

もし、子どもの話の内容に間違いや偏りがあるならば、大人が頭ごなしに間違いを正すのではなく、「○○の本にこう書いてあるのを見たことがあるよ」と別の情報ソースをぜひ見せてください。情報の質や表現には違いがあることを教えるチャンスです。

一緒にいくつかの資料を見比べて、正しくバランスのとれた情報に行きつけたら、情報を取り扱うコツやルールを子どもがひとつ経験したことになります。

「インターネットで調べた」という表現はNG

さて、一歩インターネットの世界に進みましょう。スマートフォンやタブレット端末の普及で、今の子ども達は幼いうちから当たり前にウェブの情報に囲まれています。学校の調べ学習や、夏休みの自由研究でインターネットで情報収集する子どもも増えてきました。

子どもに「どこで知ったの?」と尋ねた時に、「インターネットで見つけた」「Youtubeで見た」という表現をしたとしたら、絶対にそこで終わらせないでください。「インターネットで見た」というのは「地球のどこかで見た」と同じくらい広すぎます。

同様に「Googleで見た」「Yahoo!で見た」という表現もNG(※)。GoogleやYahoo!はインターネット上の情報を検索するための機能を提供しているだけ。大切なのは、検索した先でどんなウェブサイトを見たかということです。

〔※GoogleやYahoo!の独自コンテンツを見た場合は、「Google/Yahoo!で見た」という状況がありえます。〕

子どもには、具体的に「何というウェブサイトで見たのか(Youtubeなら発信者が誰なのか)」を聞くようにしてください。

本に例えるなら題名。「図書館/本屋の情報」と言わずに「○○という本の情報」と言うのと同じように、「インターネットの情報」ではなく「○○というウェブサイトの情報」と情報源を自覚することが大切です。

これでようやくインターネット上の情報を見るスタートラインに立てたことになります。

次からのステップは小学生の子どもだけでは難しいと思うので、ぜひ大人が一緒にやってみてください。

魚屋さん?水族館?料理研究家?〜発信者の顔をイメージ

本なら著者と出版社、雑誌なら編集部と出版社があるように、ウェブサイトにも運営者や記事の執筆者が必ずいます。そのサイトの運営者を必ず確認してください。

情報の向こう側にいる発信者の顔をイメージすることは、情報の「質」を推測するひとつの指標になります。

例えば、「まぐろ」について説明する場合、釣りの専門家の説明、魚屋の説明、料理研究家の説明、水族館の説明、水産系の大学の説明、魚類の研究者の説明、料理上手な主婦の説明、寿司屋の説明、スーパーの店長の説明……それぞれが、全く違う専門知識を元に異なるアプローチで説明するはずです。

誰だから正しい、誰だから信用できない、というような切り分けをすべきではありませんが、発信者を知ることで、サイトが作られた目的が見えてくることもあります。

インターネット上に情報を出すことは、書籍のようにハードルは高くありません。誰でも情報を出せて、無名の個人も大企業も同列なところが、インターネットの優れたところでもあります。だからこそ、見る側が、発信者が誰なのかに敏感にならなければいけません。

そのウェブサイト、どうやって作られている?

そのウェブサイト自体の作られ方を知ることも、情報の「質」を推測するひとつの指標になります。

例えば、大手のブログサービスを使った個人ブログは手軽で登録だけで自分の文章を公開できる一方で、企業のコーポレートサイトは専門の会社に依頼をして時間も費用もかけて作られます。運営者の独自記事だけで構成されているサイトもあれば、登録者の投稿だけで成り立っているサイトもあります。Wikipediaは何か有名な百科事典のウェブ版だと思っている方がいるかもしれませんが、あれはネット上の百科事典で、一定のルールの下、記事の作成・編集自体に誰でも参加できるスタイルで常に改変され続けています。

そんなサイトの成り立ちも把握できると、判断材料がふえます。

信じる?信じない?どう判断する?

その上で、大人が「自分はどういう距離感でこの情報を見るか」ということをぜひ子どもに話してください。

例えば、「新聞社の記事だから、プロの新聞記者が書いて新聞社が責任を持っているという点では信頼できるね」「○○水族館のウェブサイトに書いてあるから、本当に飼育している人だからこそわかる情報だね」「運営者も書いた人もわからないからちょっと参考にできないなぁ」「内容は嘘じゃないけど、これは広告記事だから商品をすすめるために書かれているんだよ」

場面に応じたそんなひとことで、子どもは「何を基準に情報を取捨選択するのか」という例を蓄積し、自分なりの判断基準を持つベースになるはずです。

日常会話で今日からスタート!

知識や伝聞系の会話というのは、例えば「恐竜について」「宇宙について」など「知識らしい知識」である必要はありません。「ウルトラマンの○○がね……」「ドラえもんの道具でさ……」と子どもが話す内容を、「へぇーそれ知らなかった、どこで読んだの?」と聞くだけでスタートできます。ウルトラマンひとつでも、図鑑、本、テレビ雑誌、公式サイト、ファンサイト、Youtubeの公式動画、個人の発信する動画……とたくさんの情報源があるわけで、「情報の質や距離の取り方」の教材に困ることはありません。

情報源に敏感になる習慣は、情報の取捨選択のスキルだけでなく、他の人の書いた文章を敬意を持って扱うことにもつながるはずです。

小さなことから、ぜひ、試してみてください。

狩野 さやか

株式会社Studio947のライター、ウェブデザイナー。技術書籍の他、学校のICT活用やプログラミング教育に関する記事を多数執筆している。著書に「デジタル世界の歩き方」(ほるぷ出版)、「ひらめき!プログラミングワールド」(小学館)、「見た目にこだわるJimdo入門」(技術評論社)ほか。翻訳・解説に「お話でわかるプログラミング」シリーズ(ほるぷ出版)。

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4件のフィードバック

  1. 2016-12-14

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  2. 2018-10-04

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  3. 2024-02-04

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  4. 2024-02-11

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