子どもの理解を「助ける」実物投影機の使い方とは?
前回の記事「実物投影機がホコリをかぶっていませんか?ー 電子黒板で盛り上がる前に」は、実物投影機(書画カメラ)について、使わなければ勿体無いしあれは立派なICTツールです、というお話をしました。
さて、今回は、「拡大」「共有」を容易にするという用途とは別の使い方「子どもの理解を『助ける』」についてお話ししたいと思います。
はじめはちょっと戸惑った
国語の授業、ここは先生は当然板書するシーンと思ったら、先生が手元のノートにフェルトペンで何やら書き始めました。それがリアルタイムで実物投影機を通して大きくホワイトボードに映し出され、児童はそれを見ながら自分のノートに書き込んでいきます。
なんでわざわざそんなことするんだろう、ノートの書き方(マス目)まで細かく指定するって、ちょっと管理しすぎでは? そんなことしなくても本人に任せれば……と一瞬思いました。しかし、考えてみればここは1年生の教室。
1年生というものは、板書をどうノートにとるか、なんてことがそもそも「わけがわからない」可能性が高いわけです。そういう子どもひとりひとりに、板書の度にノートの取り方まで口頭で説明するよりも、同じノートに書いて見せれば一目瞭然です。
そういえば、別の授業で、先生が算数の問題を、微妙な箇所で改行して板書するので不思議に思ったのですが、あれも、児童のノートのマス目と合わせて文章を書くことで、子どもの混乱をなるべく減らそうという配慮だったのでしょう。次に見たときには、実物投影機を使ってノートの罫と同じ用紙にペンで書き込むところをリアルタイムでスクリーンに映し出して板書代わりにしていました。
ノートを取るという行為
そこまで指定されないとノートが取れないってどうなんだろう? 丁寧すぎでは? と思いがちですが、子どもの理解力は個人差がとても大きいものです。例えば、視覚のサポートが多い方が理解が進む子どもにとっては、自分のノートと「同じ枠」が表示されているだけでうんと安心感が増し、「書き写す」大きな助けになります。
先生は、「こう書かないとだめ」と管理しようとしているんではなくて、「書き写す」ためのヒントを増やしているだけなのだと思うのです。
「先生流に板書」したものを「自分のノートに書く」という行為は、本質的には人の思考回路を自分の思考回路に翻訳するという作業なのだと思います。前方の板書をそのまま書き写すことではなく、自分なりの思考回路に合わせたやり方でノートを取れるようになるのが、最終的には目指すところであってほしいと思います。でも、それを学習を始めたばかりの小学校低学年でできるかというと、難しい子が多いのは当然。まずは丁寧な「模倣」から入るのは妥当なのでしょう。
理解が早い子どもは、どんなやり方をしてもすとんと理解をして、いずれ自分なりのやり方で書くようになるでしょう。でも、「あれ(板書)をこれ(ノート)にどう書いていいかわからない」で足踏みをしている子どもには、それを助けてあげることは、いい意味でのショートカットになります。
ホワイトボードに直接書きたいんだけど……
ノートに書いたものを投影するとその先の授業展開で困る、という場合もあると思います。先生が前の大きな板に直接大きな文字を書くという動作は、やっぱり授業に動きやリズムが生まれるし、子どもの注意も留めておきやすいという良さもあります。
そういう場合は、ノートのマス目だけを投影して、直接ホワイトボードに板書してもいいでしょう。児童がノートをとったあと、マス目の投影をだけ消して、そのまま授業を進めればいいわけです。スクリーン兼ホワイトボードであれば、シームレスに時間のロスなくこれを実現できます。
前回記事のポイント(1)拡大、(2)共有、そして今回の(3)理解を助ける、というこの3つの基本コンセプトがあれば、授業づくりのプロである先生方は、溢れるアイディでこの実物投影機というちょっと日陰に追いやられつつあるICT機器を存分に使いこなし生かせると思います。
現場の先生方で、「こんな使い方をしている」「是非紹介してほしい」、という実践があれば是非お寄せください。
3件のフィードバック
[…] 具体的にどんな使い方のことなのかは、次の記事『子どもの理解を「助ける」実物投影機の使い方とは?』でご紹介したいと思います。 […]
[…] 以前、実物投影機についての記事で、「実物投影機+ホワイトボード」の環境があれば、そんな風に教科書の文章や、ノートのマス目やライン、図形になどをホワイトボードに投影し、そこに直接板書するような「板書と投影のシームレスな使い方」ができることをご紹介しました。 […]
[…] […]