「タブレット教育」幻想を捨て、適材適所で気軽に活用!

最近、「タブレット教育」がよく話題になります。でも、タブレットがペンとノートの代替物、ちょっと動く教科書、程度に使われるのだとしたら、それは、タブレットである必要はありません。

また、子どもが目新しくてやる気になったとしても、それではすぐに飽きるでしょう。「使わなくてもできること」にわざわざ「使ったほうがいいみたいだから」と使うのは、本当に意味がないことです。

先行事例でも苦労している

「タブレット教育」がかかえる問題や、先行事例から見える課題については、NHKクローズアップ現代で昨年の9月に紹介していて事例もわかりやすいので、ぜひご参照ください。(放送内容全文読めます。)
NHKクローズアップ現代「学びを変える? ~デジタル授業革命~」

タブレットを教育現場に取り入れること自体は、賛成です。ただ、「使わなきゃ」が先行して、適材適所で使えていないとしたらとても残念なことです。

しかも、「タブレット教育」と聞くと、「一人一台環境をネットワークで一元管理して電子黒板に子どもの回答が自動的に表示されるようなシステムがあるのが前提」のようなイメージを持ちがちです。こうした高価なハード機器が導入され、それにあわせた電子教材の類のソフトが豊富に用意されないと何もできない、ということでは、金銭的に恵まれた学校でしか何もできないことになってしまいます。

大規模な導入がなくても、もっと普通のツールとして、ごく普通の「タブレットならではの使い方」を授業に取り入れられないでしょうか。

「簡単に持ち歩ける」を利用しない手はない!

そもそも、iPadのようなタブレット端末の利点の良さとして一番に思いつくのは

・持ち運べる(ノートPCの比ではない)
・カメラやマイクが付いている
・操作が直感的で簡単
・ローマ字入力かできない子どもでも文字が入力できる
・アプリが豊富

という点です。

「タブレット教育」的幻想を捨て、「適材適所」で気軽に活用!!

こういう機器が目の前にあった時、まず、教室で個々の席にじっと座って使う、という発想になるでしょうか? そんな使い方より、他の使い方の方が向いている、と誰もが思うはずです。

例えばこんな、使い方

例えば、何かを発見してくるような調べ学習の場面では、各班にひとつタブレットがあれば、校内を探検して写真やムービーを撮ったり音声を録音してくることができます。教室に戻ってアルバムから発表したい写真とムービーを選んでひとつのフォトアルバムにまとめるだけで、もう、写真と動画のスライド発表資料になります。

発表内容は話し合ってまとめて紙と鉛筆で台本を作り、発表時は、自分の班のタブレットを直接プロジェクターにつないで、フォトアルバムを見せるだけ。スワイプして順に送りながら、台本に従ってスピーチするだけで、立派なスライド発表になります。

カメラとアルバム機能だけなので、覚える操作も非常に少ない。既に多くの子どもが親のスマートフォンで使ったことがある機能でしょう。しかも、これらはオフラインで使える機能だけなので、ネットワークが整っていなくても、教室や校庭でインターネットにつなげなくても、数個のタブレットが導入できれば、とりあえず試せます。

取材と編集と発表の面白さをコンパクトに

デジカメで取材してそれをパソコンに取り込んでさらに……という従来の手間を考えたら、タブレットだと、びっくりするほど簡単にデジタル資料を扱えます。

取材→編集→発表……を直線的なステップでコンパクトに体験できると、子どもが能動的な気持ちを途切れさせることなく、その面白さを実感できる率が高まるのではないでしょうか。タブレット外の、紙と鉛筆での作業、話し合い、等のステップも無理なく組み込めます。

もっと高度に発展させるなら、そのまま取材してきた写真やムービーをタブレット内で、レイアウト系のアプリを使って資料に仕立ててもいいでしょう。文字をタイプするだけでなく、音声を録音して足したり、手書きの字や絵を組み合わせることだってできます。そしてそのまま発表資料に。オールインワンの機器だからこそできるよさです。

「タブレット教育」という幻想を捨てる

「タブレット教育」とか「タブレット学習」というと、何か新しいスタイルの未来的な学習の仕方が、救世主になるかのような錯覚に陥りがちです。確かにできることは圧倒的に増えます。でも、機器があれば自動的に新しい別の教育が生み出されるわけではありません。

機器が教育を牽引するのではなく、主体は教育現場であって欲しい。もともと取り組んでいる教育手法を「機器の便利な特徴」で補強したり応用して発展させるという基本的なアプローチを見失ってはいけないと思います。

ちょうど先日、日経新聞のWebにこんな記事が出ました。

日経新聞「タブレット1人1台の次世代教育 先進現場が見た光と影」(無料会員登録で読めます。)

この記事の事例を見ると、電子黒板やひとり1台タブレット、無線LAN環境がトータルに整っているのが大前提だという錯覚に陥りますが、そうでなくていいはずです。

大規模導入を待たなくても、班にひとつでも、オフラインのままでもOK。それくらいの感覚からスタートして、タブレットならではの特徴から自由に発想すれば、いろいろなアイディアが現場の先生から生まれるのではないでしょうか。

まずは、今手の届く範囲で出来るタブレット活用から始め、その実践の積み重ねがあれば、いずれ予算がついて大規模導入された時に、より戸惑いなく生きた使い方ができるはずです。

道具というのは、「適材適所」が原則です。紙と鉛筆でできたことをわざわざタブレットでやるだけなら、下を覗き込む感じに姿勢は悪くなるし画面はノートより狭く感じるし……と、デメリットも沢山あります。「タブレットを使うための授業」になったら本末転倒で、タブレットでしかできないこと、タブレットだからこそ便利で得意なこと「だけ」に活用して、紙や鉛筆、紙の教科書と一緒に総合的に使うのが自然です。

思考や制作のための「便利な道具」として、「必要な部分でだけ利用する」という感覚を育てることこそが、「使いこなせるようになる」ということでしょう。過大評価も過少評価もせず、ちょうどいい使い方を模索していけたら、と思います。

狩野 さやか

株式会社Studio947のライター、ウェブデザイナー。技術書籍の他、学校のICT活用やプログラミング教育に関する記事を多数執筆している。著書に「デジタル世界の歩き方」(ほるぷ出版)、「ひらめき!プログラミングワールド」(小学館)、「見た目にこだわるJimdo入門」(技術評論社)ほか。翻訳・解説に「お話でわかるプログラミング」シリーズ(ほるぷ出版)。

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2件のフィードバック

  1. 2015-02-17

    […] ールは、柔軟に「適材適所」で使っていくのが大切、というのが前回の話題でした。 […]

  2. 2015-03-14

    […] 以前「タブレット教育」幻想を捨て、適材適所で気軽に活用! 」という記事を書きましたが、なんとも偉そうなことを言ってしまったと感じさせられる、地に足のついた実践例を聞くこ […]

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